日本栄養食料(株)創業 栄養食品開発を目指す
ノーサンの前身・日本栄養食料株式会社は、日本人に廉価で良質な蛋白食品をもっと豊富に供給しようという構想の下に日清製粉の社長であった正田貞一郎氏によって設立された。
「マルエイ完全飼料」ブランドの配合飼料の製造開始
戦時中に配合飼料製造を休止
昭和12年に始まった日華事変の拡大にともない、第三国からの原料輸入が制限され、飼料が統制下におかれた。
社名を「日本農産工業」に改称
株式公開し、東京証券取引所店頭銘柄として取扱いが開始
戦後、配合飼料製造を再開
昭和13年から12年間にわたって行なわれた飼料の統制は、昭和25年に解除された。
戦後の畜産業界の発展にともない、マルエイ完全飼料の販売量が増加
横浜市内に中央研究所を開設
東京証券取引所第1部に株式を上場
横浜新工場完成
新浦島町に新しく横浜工場が完成した。地下1階、地上7階、原料の搬入から製品の出荷までほとんどオートメーション化されたノーサン最大の工場であった。
ペットフードの製造販売を開始
日本初の国産製造設備により製造したドッグフードを販売
台湾へ配合飼料技術を提供
台栄産業有限公司(台湾台北)の工場建設の技術指導や配合飼料製造の技術指導を行った。
日本農産工業・東急エビス産業・菱和飼料の3社合併
「ノーサン」ブランドの誕生
国産初のドライキャットフード「キャネット
<チップ>」発売開始
本牧工場開設
「ヨード卵・光」発売を開始
当時から6個入り300円で発売されていた。
週刊ポストの記事をきっかけに、「ヨード卵・光」に注目が集まる
韓国企業と技術協力契約を締結
韓国の斗山穀産との間に技術協力契約を締結し、配合飼料製造の技術提供を行った。
ヨード卵・光の初CM
横浜駅西口に本社移転
志布志工場 開設
北極遠征隊・ヒマラヤ登山チームがヨード卵・光粉末を携行
北極点でヨード卵の旗を持つ和泉雅子さん。
水島工場開設
横浜ランドマークタワーに本社を移転
つくば市に中央研究所(現 研究開発センター)を移転
ISO9001認証取得(研究開発センター)
新コーポレートマーク策定
フランス エビアリス社との技術提携
フランスの飼料メーカーであるエビアリス社が持つ「抗菌性物質の代替技術」と「環境負荷低減飼料開発」を対象範囲とした技術提携を行った。
飼料事業の中国進出
福建省において水産飼料の製造・販売会社である「福建高農飼料有限公司」を、山東省において飼料用プレミックス製造・販売会社である「EVIALIS (Shandong)Co., Ltd」社を、合弁で設立
三菱商事株式会社の完全子会社となる